モン・サン・ミッシェル
Mont St-Michel 1993.12


 モンサンミッシェルはパリの西364km、コタンタン半島とブルターニュ半島の付け根にある、城壁に囲まれた修道院の島だ。その周囲と隔絶された世界と海の姿は必見の価値がある。1979年にはユネスコ世界遺産に登録されている。

 パリ・モンパルナス駅からTGVアトランテック線に乗り約2時間、レンヌからローカル列車に乗り換え約50分でポントルソンに到着する。なんとレンヌで4時間の電車待ち。おかげでポントルソンに着いたのは夕方5時を回っていた。レンヌからモン・サン・ミッシェルまでバスを利用するという手もある。他にパリからの日帰りバス・ツアーがある。

 翌日、ポントルソンからモン・サン・ミッシェルまでバスで約9km。シーズンオフのせいかバスの本数が少なく、午前と午後の1本のみであった。駅でレンタルサイクルを借りて行くという方法もある。
 小さな集落のある角を曲がったとき、はるか前方海の上に、天高くそびえる塔を持つモン・サン・ミッシェルが忽然と現れる。全身に鳥肌が立つ感覚。この世のものとは思えないような、僧院というよりも魔物の巣窟に近い何かを感じる。この瞬間の記憶と感動は生涯忘れ得ないものになるだろう。
 島は堤防で結ばれていて、島の駐車場でバスは止まる。島の周りには何もない。周囲の海は干潮の差が大きく
、最大14mにも達する。満潮時には急速に潮が満ち、津波のように波が押し寄せる。そのため島の周りの砂浜は遊泳禁止になっている。潮が引いた後は見渡す限りの砂浜だ。砂浜は流砂床になっている所もあるらしい。気候は海の近くのせいかパリほど寒くはなかった。

 ここに修道院が作られたのは、708年アヴァランシェ司教である聖オベールの夢に大天使聖ミッシェルが現れ、この地に修道院を建てるようお告げを聞いたことに始まる。それ以後造営が繰り返され、1228年にラ・メルヴェイユ(脅威)と呼ばれる大建造物が完成する。百年戦争時には島の要塞化が進み、1417年から始まるイングランド軍の3度の包囲攻撃を守り抜いた。島の入り口にある大砲はそのときイングランド軍が置いていったものだ。フランス革命時には牢獄として利用され、1897年には尖塔が建てられて現在の姿になった。
 モン・サン・ミッシェルは修道院でありながら、島全体が完全武装された難攻不落の修道院なのである。

 王門をくぐるとグランド通りという狭い上り坂が続いていて、その両脇にはホテルやレストラン、土産物屋がぎっしりと並んでいる。いわゆる門前町のようなものだ。城壁の上を歩くこともできる。シーズンオフなので観光客はまばらだった。春から夏にかけてはかなり混雑するらしい。
 
上に上にと登っていき修道院の入り口に到着した。外観を見る限りここは修道院というよりまさしく砦である。大聖堂前からの海の眺めが素晴らしい。ラ・メルヴェイユは岩盤上に渦巻き状に建てられており、内部は迷路のような通路で結ばれている。

 修道院を出て町中を散策してみる。どんなにゆっくり周っても1時間とかからないが、路地が迷路のように入り組んでいておもしろい。堤防つたいに島から遠ざかってみる。モン・サン・ミッシェルはちょっと離れて見るのが迫力がある。
 モン・サン・ミッシェル名物のオムレツは日本円にして5,000円近くしたと思う。


ブークル塔の砦
背後には潮が引いた後の海が見える


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