ナポリ
Napoli 2001.7.8〜7.9  


 夕方15:50にバーリを出発し、Casertaで乗り換えて19:48にナポリ中央駅へ到着した。
 ナポリとバーリは南イタリアで双璧とするぐらい大きい町なのだが、何故か2都市間を結ぶ列車の便は悪い。バーリからローマやミラノへの便はちょくちょくあるのだが、ナポリへの直通便は日に1本しかない。Casertaで乗り換える場合も、時間帯によっては乗り継ぎが非常に悪い。バーリとナポリ間の移動はバスが便利らしい。
 ナポリに来るのは2度目である。あいかわらず騒がしく、散らかっていて、落ち着きがない町だ。しかしイタリア一活気があり、歩きいていて飽きない町である。

 ナポリの起源は古く、ギリシャ人が植民都市(Neapolis)を築いたことに始まる。町は都市計画に基づいて建設され、城壁で囲まれていた。ナポリの地下にはギリシャ時代、ローマ時代の遺構が残る。ナポリ旧市街は世界遺産に登録されている。
 ナポリの地下は穴ぼこだらけで、無数の深い井戸を通して地上とつながっている。これはナポリの地盤が掘りやすくて頑丈な凝灰岩から成り、人々はこの凝灰岩を切り出して建物を建てていったためである。ローマ時代には地下水道や広大な貯水槽、カタコンベが地下に建設された。その後の中世、近世に至るまで凝灰岩は掘り出され、その結果、地下には広大な空洞が出現したのである。第2次大戦では防空壕として利用され、20万人以上を収容した。



洗濯物がたなびく



国立ナポリ考古学博物館

 ギリシャ・ローマ美術を結集した博物館。当時の美術や文化がいかに感性豊かであったかが理解できる。他にポンペイやエルコラーノの出土品も展示されている。(入場料 14,000Lira)


ファルネーゼの牡牛


アレクサンダー大王の戦い(ポンペイ出土)



休憩するヘラクレス



尻をまくるヴィーナス



ポンペイの模型



豊穣の神アルテミス

ナポリの夜

 夕食をとるため、スパッカナポリにあるレストランに出掛けることになった。ナポリの夜は一種独特のものがある。道は細く古ぼけた建物が頭上を覆い、街灯も少なく真っ暗でゴミが散らかり放題である。雰囲気は大阪の西成を巨大にしたような、悪の巣窟といった感がある。こんなところを歩いていけるのかと、かなり不安になる。
 しかし、次第にその混沌としたナポリの夜が美しいと思えてくるのである。路地の一つ一つが薄暗く光りだされ、スパッカナポリでは急に視界が開けたかと思うと、ライトアップされた教会や尖塔が現れ神秘的である。
 町中は若者が乗るバイクがクラクションを鳴らしながらビュンビュン走り、人々は深夜遅くまで騒いで楽しんでいる。

レストラン ポルタルバ(Port'alba)

 手頃な料金で美味しい。夕食に2人で行き、スパゲティ・ボンゴレ、ピッツァ・ペスカトーレ、魚介類のフリッター、ケーキ、ミネラルウォーター、白ワイン1/2を頼み、6万8,400Liraだった。スパゲティ・ボンゴレはイタリアで幾度か食べたが最高だった。
 店の前にテーブルが並べられていて、ナポリの喧騒を味わいながら食事できる。
 TEL 081-459713
 Via Port'Alba,18-NAPOLI

ナポリでの両替

 ナポリ中央駅乗車券売り場横にある銀行で両替したとき、手数料が11.9%と高く現金1万円を両替して15万5,300Liraだった。同じ1万円がバーリ中央駅で17万2,130Liraだったのと比べると損をした気分になった(後のローマ両替商では17万4,000Lira)。3年前ナポリに来たときも、銀行が閉まっていたので両替商で両替したのだが、詐欺のようなレートだったのを憶えている。

 

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