ナポリ・カプリ島・ポンペイ
Napoli, Capli, Pompei 1998.4.20〜4.23  
 
カプリ島へ(Capli)

 ローマ・テルミニ駅を出発し、しばらく車窓右手にローマ水道を眺めながら列車は走ります。インターシティ1等席のコンパートメントはお客さんも少なく、ゆったりしていて快適です。検札にきた年配の車掌に身振り手振りでいろいろと尋ねられました。「どこに行くのか?」「カプリ島?いいところだよ!泳ぐのかい?」と、本当にイタリア人は人懐っこいです。
 2時間余りでナポリ・メルジェッリーナ駅に到着。駅から歩いて10分、メルジェッリーナ港から水中翼船に乗り込みました。船上から見るナポリの美しさに見とれている間もなく、揺れるに揺れて強烈な船酔い地獄に襲われるなか、40分足らずでカプリ島マリーナ・グランデ港に到着しました。


ナポリ・メルジェッリーナ港


船上からのナポリ 手前に卵城が見える



ホテル サン・ミケーレからの眺め

 アナカプリにあるホテル「サン・ミケーレ」に宿をとりました。断崖のへりに建っていて見晴らしは抜群。部屋のテラスやレストランから紺碧の地中海が望めます。飛び込みで泊まったホテルでしたが大正解でした。
 カプリ島は景観も美しく、のんびりしていて本当にいいところです。また来たいです。

青の洞窟(Grotta Azurra)

 青の洞窟は入口が狭く、少しでも波があれば入ることができません。1日目は駄目でしたが2日目の朝に見ることができました。バスで青の洞窟前まで行き、そこから手漕ぎボートで洞窟に入りました。洞窟に入った瞬間、まわりが青色に染まりました。神秘的な青さです。15分ぐらい洞窟内に居て、船頭のお兄さんがカンツィオーネをサービスしてくれました(かなり上手)。チップは一人あたり10,000Liraでした。
 帰国後に青の洞窟で撮った写真を現像してがっかり。フラッシュの強烈な光が幻想的な青色を全く消し去っていて、単なる洞穴の中としか見えない写真になっていました。フラッシュを焚いたのが失敗だったと思います。


ソラーロ山


アウグスト公園より


ナポリ
(Napoli)

 水中翼船でナポリに戻り、メルジェッリーナ駅より10分少々でナポリ中央駅に到着。ガリバルディ広場に出ると、その混沌とした雰囲気と喧騒で圧倒されそうになりました。交通渋滞とクラクションの音。車はみなポンコツで、横断歩道で待っていても止まってくれず、強引に渡ると急停車して止まってくれます。街はゴミが散らかり放題。頭上を覆う古ぼけた建物。スパッカ・ナポリ周辺の細い路地では洗濯物がたなびき、子供の遊び場になっていて庶民的な暮らしが身近に感じられます。情緒豊かで人々の生活がそのまま息づく街並みは、歩いていて飽きることがありません。こんなナポリが好きになりました。街歩きでお腹がすいたらピッツァでしょう。モッツァレッラチーズが一杯のっていてすごく美味しい。ナポリはピッツァ発祥の地なのです。もちろんシーフードも美味しいです。
 治安については悪評高いナポリですが、それほど悪くはないと思います。ナポリが無法地帯というのは一昔前の話で、今ではかなり改善されているのではないでしょうか。ただナポリ人は順番を守らないようで、商店で並んでいても平気で横から割り込んでります。お行儀よく並んでいたら、いつまでたっても買えません。両替するのは難有りです。中央駅の両替所や銀行が閉まっていて、やっと見つけた両替所では詐欺かと思うくらいレートが悪い。どうしても現金が必要だったので泣く泣く両替しました。


ポンペイ
(Pompei)

 ナポリ中央駅からヴェスーヴィオ周遊鉄道に乗り、ミステリ駅で下車。1時間余りで着きました。ポンペイ遺跡は西暦79年のヴェスーヴィオ火山の大噴火により、一瞬にして埋没した古代都市遺跡です。18世紀に発掘されるまで火山灰で閉ざされていたため、2000年の時を越えて当時そのままの都市の姿を見ることができます。
 当時の人口は1万6000人とかなり大きい町でした。上下水道が引かれ、劇場、浴場、娼館、居酒屋、ピザ屋にパン屋、その他の商店等があり、庶民の暮らしぶりが伺えます。


ポンペイ遺跡


ギリシャ式劇場


火砕流で死んだ人
遺骸が腐ってできた空洞に石膏を流して復元したもの。とても苦しそうな顔をしています。

 

 

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